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──まずは、松岡先生がどういうきっかけで能の舞台の現場に関わるようになったのか、というお話からお伺いしたいと思います。
私が能楽舞台の現場と関わるようになったのは、「橋の会」の運営委員になったことがきっかけでした。そのきっかけはほとんど偶然みたいなもので、荻原逹子さんという有名なプロデューサーで銕仙会の事務局長のようなことをやっていた方が、観世寿夫亡き後、どういう活動をしていったらいいかということを模索するなかで、「若い人を集めて何かやろうじゃないの」という話になり、4人のメンバーを集めたんです。その4人というのが、土屋惠一郎さん、松本小四郎さん、鴻英良さん、そして私でした。どういうわけかよくわかりませんが、どうも荻原さんに私は目をかけられていたようでした。松本さんと土屋さんは、内野儀さんや河合祥一郎さんも通訳をしていた利賀村にいて知り合い、松本さんはそこでフランス語の通訳もやっていました。また、私と鴻英良さんも何かのきっかけで知り合いになって、一緒に永島忠侈(能楽師・観世流シテ方)さんのところで謡や仕舞を習ったりしていました。その4人が何となく集められたわけです。
「橋の会」という名前は中村雄二郎さんがつけたんです。中村さんのほか、表章さん、横道萬里雄さん、それから作曲家の松村禎三さんといった人たちを発起人として、若い人たちを集めて何かやる会をつくりましょうということで、荻原さんが中心になって私たち4人を集めたんだと思います。ほかの3人は30代すぎくらいだったわけですが、私だけは大学院修士の2年くらい、25歳くらいでした。
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そうですね。鴻さんとはもともとよく話していましたが、土屋さんと松本さんは荻原さんとの関係で知り合いました。
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──寿夫先生が亡くなられたのは78年ですよね。そのすぐ翌年に何かやろうということになったわけですか。
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批判意識というよりも、寿夫さんは世阿弥の能楽論を読んでいたものの、別に能のテキストを読むところからはやっていなかったから、我々は寿夫さんがやっていなかったことからはじめて、能から現代演劇や現代音楽といったほかのところへ「橋」をかけていきたいと考えていました。「橋の会」という名前はそういう意味なんです。寿夫さんは、たとえば武満徹とも一緒にやっていましたし、そういうところにアプローチしていくために、まずは能のテキストをちゃんと読んで、考え直すところからやるのが良いんじゃないかと考えたわけです。
ちょっと専門的な話になりますが、「百万」の〔クセ〕の部分には「地獄の曲舞(くせまい)」というのが最初には入っていました。いまの「百万」ではそれを外に出して、おそらく世阿弥がつくったものと思われる非常に良い〔クセ〕が入っています。79年の暮れに郷里の岡山に帰って『鎌倉旧仏教』という日本思想大系の本を広げたときに、その「百万」から追い出された「地獄の曲舞」の前半部分の典拠を見つけたんです。院政期から鎌倉初期くらいの貞慶というお坊さんが笠置に隠遁するとき、四六弁麗体で非常に流麗な漢文調の手紙を書いているんですけれども、それがほとんどそのまま「地獄の曲舞」に引用されているんですね。これが「地獄の曲舞」の前半部分だと発見したときはまさに「ユーレイカ!」でした。それも「百万」の研究会をやっていて自分がある種研ぎ澄まされていたから、そういう発見ができたんだと思います。それは、すぐに表章さんが紹介してくれて、雑誌『観世』で論文を書かせてもらいました。これは「百万」に直接は関係ないんだけれども、「百万」にもともと入っていた「地獄の曲舞」の前半の典拠で、いまその曲舞は「歌占」という能に入っています。それは「百万」の研究会での刺激、ある種のテンションみたいなものが、そういう発見につながったんだと思います。それが私の研究履歴のなかでも最初の部分になります。
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──そういう研究会だと、大学や国文学のなかでテキストを読むというものとは全然違いましたか。
そうですね。資料を読む主導は、例えば竹本さんだったり、私が読むときもありましたけれども、いろんなおもしろい意見が出てきて、我々の仲間だけでやる研究会とは全然違いました。そういうのは、私にとっては外からの発見でした。
ないですね。浅見真州さんは毎回参加してくれました。たとえば下間少進(しもつましょうしん)の『少進聞書』といった演出資料などを浅見さんに見せると、「ああここらへんで現在の型がほとんどできてるな」とか言うわけです。そういうのもおもしろかったですね。
──最初に「百万」をやられたのはどうしてなのでしょうか。
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──橋の会の回を重ねていくとともに、先生の学問のスタイル、スタンスもできてきたわけですね。
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──「橋の会」で古典の能をきちんと読んで上演するとともに、徐々に復曲もするようになり、それが復曲ブームにつながっていくわけですね。能のような古典の芸能のなかで、新しい曲を立ち上げるのは難しいことですよね。研究者としてそこでやらなければならないことはとても大きいと思います。
第8回の「橋の会」の能が「葵上」でした。そのときに、世阿弥の『申楽談儀』にかなり詳しく書いてある能「葵上」の犬王の演出、つまり、六条御息所が葵上の前に出てくるときに、一人ではなくて、実際に破れ車を出して、青女房を連れながら、車のなかで謡を謡って出てくるという、いまでは「古式」という名前がついている古いかたちの演出を、公開研究会でやってみようということになりました。それはやってみると「おもしろいね」ということになりました。そのときは八世の観世銕之亟(観世静夫)さんも見に来ていて結構怒っちゃって、「現代の一人でやる方がいい」というかなりの批判をギャラリーの方から投げかけられたりもしました。が、やってみるとすぐできたし、おもしろかった。結局「葵上」は法政大学の能楽研究所が復曲することになって、「橋の会」は「古式」の復曲は本公演ではやりませんでしたが、それが復曲につながっていく動きになりました。
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お金のことはさりながら、1期のとき、私の研究者としての人生にとってのいろんな種みたいなものがだいたい撒かれたと言えます。「百万」のときに研究会で発表したのは奈良坂の問題なんですね。「百万」の〔クセ〕は「奈良坂の。児手柏(このてがしわ)の二面(ふたおもて)。」という謡からはじまります。もちろん、奈良坂が主舞台ではないわけだけれども、私がずっと考えているのは、奈良坂のような境界的な場所で能が立ち上がっているということや、境界にいる「非人」と言われるような人たちと天皇との関係、天皇制の問題です。天皇と非人というのはネガとポジみたいなかたちだと思いますが、そういう奈良坂の境界の問題を切り口にして能を考えていきました。そこで「蝉丸」の研究会で表さんとぶつかったんですけどもね。そういうようなバックボーンで、ある種、記号論的に能のテキストを見ていくという見方に対してたいへんな反発がありました。「君の発表のそこの部分は10分の1の確率しかなくって、そこの部分は20分の1しか確率がないから、結局君の言っていることは200分の1くらいの確率しかないんだ」みたいな批判を表さんから受けて、「何を」とそのときには思いました。でも、結構ショックは受けたんですけどね。
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──能の復曲にあたっては、どういうところから作業をはじめるのでしょうか。
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──先程の「葵上」のとき、舞台としてやってみると意外とおもしろいとか、逆に批判があるといったお話がありましたが、そうしたテキストベースのものが舞台の空間、実際の身体として立ち上がったとき、どういうところに発見、面白さがあるんでしょうか。
一方で、能の「重衡」というのは、結局ある種のフラッシュバック劇なんですね。最後の場面では火が見えてくるんですね。「春日の野守りの飛ぶ火なり」と謡われるように、「飛ぶ火」が見えたり、いろんなところから武蔵野の「飛ぶ火」が見えたり、水を見ると自分の心の中の炎が見えるとか、剣のように上から炎が落ちてくるとか、いろいろな火の描写が最後に出てきます。結局はPTSDというか、フラッシュバックのような感じで、自分が奈良を焼いてしまって重罪人になったという、自分の一番の心的トラウマの原点みたいなものが圧倒的に押し寄せてくるという描かれ方が、その能ではされているんです。ですから「重衡」は重衡の内面に非常にフォーカスした修羅能であって、ほかの曲、世阿弥の修羅能にはそういう種類のものはあんまりないと思います。そういうのが「入相もすさまじや」という前場で象徴的に見えてくる。そうして火の描写がある種の修羅の世界の描写なのですが、「重衡」に関してそれまで言われていた説は、修羅の描写が結構ぶ厚いので、「古い曲と新しい曲の中間くらいにある曲じゃないか」「世阿弥以前じゃないか」というものでした。そうではなくて、世阿弥を通り越したモダンな能を作る観世元雅の世界じゃないか、そういう、心にフォーカスしていって救いようのない世界が立ち上げられてくる、「隅田川」にも通じるような観世元雅の世界なんじゃないか、ということを考え始めたわけです。最初「重衡」に取り掛かったときは、そんなことは全く思わず取り掛かったんですが、だんだん読んでいき、舞台に上げていくうちに、重衡の内面にフォーカスされている曲であって、世阿弥とは違う系統の能じゃないかという発見が出てきました。いまはもう「重衡」は観世元雅としか考えられないというふうに思っています。
「重衡」はよく上演されていましたが、最近はやられませんね。10年前くらいに観世銕之丞さんがやられましたが、とてもよかったです。もっと、銕之丞さんなどにやっていただきたいと思っているんですが。
──「重衡」の復曲をすることになったきっかけは何だったんでしょう。
当時は復曲そのものがまだ定着していませんでした。我々のちょっと前にいまの梅若実さんのところで「大般若」の復曲がやられて、それから我々が「重衡」をやって、そのあたりから復曲ブームになりました。「大般若」と我々は関係ないんだけど、第1期が終わって、じゃあ、まだ新作までいかないけれど、復曲からはじめてみようかというときに「重衡」を選んだということですね。表さんなんかは、「暗い曲だからどうかねえ」といった意見でしたが。
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シテ=観世榮夫 生け花=勅使河原宏 撮影=小林忠恭
──もう一つ、先生の「花から風へ」というテーマも、やはり舞台からインスパイアを受けたものだと思うんですが、そのあたりの詳しいお話を聞かせていただけますか。
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そういうものを場所として表現したのが「会所」と名前が付けられる中世の空間です。将軍の会所は同朋衆が裁量して飾りつけや管理をしていて、そのなかには九間(ここのま)という十八畳の空間があって、そこで連歌が行われたりする。遊宴の空間でもあり、飾りの空間でもあるわけです。飾りに関しては、唐物の飾りなどを同朋衆が担って、その管理運営をする。その会所の飾りで立花を生けるわけです。立花専門の同朋衆で立阿弥といった人が出てきて、足利義教・義政に仕えている。「西行桜」をやることによって、花の下連歌を通じて会所の問題が出てきて、私のアイデアがヒントとなって「花と能の宴」というかたちで、花と能を一緒にやってみようということになりました。会所の空間では、花もやって能の仕舞もやっていたわけです。
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橋の会 第一回 花と能の宴「半蔀」 宝生能楽堂
シテ=八世・観世銕之丞 生け花=勅使河原宏 撮影=吉越立雄
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もう一つ面白かったのは「定家」を草月ホールでやったときです。そのときは伊豆の山中から定家葛を大量に集めてきて、草月ホール全体に定家葛を貼りつけて、馬の鞍型のような竹の屋根に定家葛を絡ませたものを作り物にし、その下に黒いスポットの隠れ空間をつくり、その幕が上にあがるとシテが出てくるかたちにしました。そのとき思ったのは、ホール全体の空間がひんやりしているということでした。植物から発せられるひんやりした気みたいなものがあるんですよね。そこから能の「定家」の「冷え」の感覚、特に〔クセ〕のところの「冷えた世界」みたいなことが見えてきました。「定家」を書いた金春禅竹という人は、定家葛のそういう植物の「冷え」の世界を実感しながら能を作っていて、その辺りは、世阿弥の観念的な植物の捉え方とは違います。植物の生態に密着した捉え方をしている。禅竹の能は植物を合わせるととてもうまくいく。
第3回 花と能の宴 「定家」 草月ホール
シテ=浅見真州 生け花=勅使河原宏 撮影=関谷幸三
[『草月』第182号(草月会出版部、1989年)より許可転載]
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──先生が駒場の表象文化論にいらっしゃったのは何年ですか。
1990年ですね。私は表象の草創期から一応いたと思うんですよね。ごく初期はいなかったと思いますが。最初の頃の表象は、結構実技や実演を歓迎する雰囲気がありましたが、だんだんそれが失われてきて、やっぱり論文書かなきゃいけないというか、論文中心主義になってきたという印象はあります。初期の頃は実技や実演を評価する雰囲気が強かったと思います。
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2009年のときの駒場薪能もまがりなりに成功して、祝祭空間が現出したと思います。あの駒場図書館の前の空間が夜にお祭りの場になったのは面白い経験でした。
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そうですね。表象にいると一つに固まらないので、そういう刺激の受け方はあったと思います。
──最後に、能楽の現場や研究の現状に対する所感があればお聞かせください。
やっぱり、橋の会みたいな会がいまはないということを思います。だから、研究者と実演者をつなぐパイプみたいなものがほとんどいま途切れちゃってると思うんですよね。橋の会の頃にはまだ、たとえば浅井文義さんがやっていた「萌の會」で研究者を入れてやるということがありましたが、いまはほとんどないんじゃないかな。事前解説をするくらいでね。でも、テキストをみんなで真剣に読むというようなことはたぶんやってないと思います。
──公演前の研究会ということですよね。
それも観客を前にしてやるのではなく、内輪で集まってやる研究会というのはいまほとんどないんじゃないかな。
──非公開というところも一つ重要なところでしょう。
そうだと思いますね。解説の会では研究者や実演者がそれぞれの立場でやるということなので。だからそういう意味では「橋の会」というのは、ある種、空前絶後みたいなところがあると思うんですよね。偶然に集まったんだけども、その偶然が24年間も続いちゃったみたいなね。まあ、何回かいろんな危機はありましたけれど。
──いろんなお客さんが来るような、ブランドが当時確立されていたわけですよね。
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──上演の前にテキストを読む研究会のある種の成果物として、パンフレットがあるわけですね。パンフレットに毎回論文が載っていたんですもんね。
そうそう。やっぱりパンフレットを充実させようというのは最初から考えていたことでした。後で振り返ってみたときに、記憶をよみがえらせるよすがになるように。
──それも結構ガッツリなパンフレットでしたよね。
「橋の会」ではボリュームのあるパンフレットを作っていたと思います。それと、若いから生意気だったっていうことはあるけども、役者にダメ出しするということもありました。いまから思うとちょっと考えられないんだけれども、「それじゃ観客を見せるレベルになってないよ」みたいなことを強く言ったこともありました。
──今日のお話では、先生の活動の原点について様々なことが披露され、大変有意義だったと思います。ありがとうございました。
(収録、聞き手:原瑠璃彦、白井史人、構成:原瑠璃彦)
追記:「橋の会」の公演記録については、松岡心平編『中世に架ける橋』(森話社、2020年)に一覧が掲載されています。また、同書には、松岡心平「「橋の会」という現場」、土屋惠一郎・松本小四郎・松岡心平「鼎談 橋の会の二十四年を振り返って」も収録されています。